心をひらく

今日は朝から、「ジュース こっち!!」と、冷蔵庫を必死で指差す我が息子。

もう二語文になってるし。

その急速なおしゃべりペースについて行けてない。

 

どうしよう、そのうち、「かあちゃん あほー」とか言い出したら。

なんかずっと「いつ喋り出すんやろう」と待っていたけど、喋り出したら憎たらしいことも言ってくるんやろうなあと思ったら、ひたすら「ばぶー」「ぶーぶー」の、イクラちゃん状態のままでいてほしい。。なんて。

 

昼から旦那の祖母の家へ。

みんなでごはん食べて、15時頃には息子も昼寝、家族は買い物やら用事やらで外出して行って、残ったのはわたしとおばあちゃん二人。

今月90歳になるんですが、ものすごい頭のしっかりしたおばあちゃんで、ユーモアもあってちょっと天然でかわいい方です。

おばあちゃんがもうすぐ誕生日という話になって

「いつお迎えが来るかわからんけど、もうちょっとてんちゃん(ひ孫)の成長を見ていたいという欲が出てきてねえ。。」

そう、恥ずかしそうに控えめに喋るおばあちゃん見てたら、涙出そうになってしもた。

いや、死とちゃんと向き合いつつも、毎日をしっかり生きよう、行きたいと思って生きてるのってすごいと思う。

 

自分は、もう日々のことで追われて、明日はあーしてこーしてばっかりやもの。

おばあちゃんはしっかり生きてはるわ。

はっとした瞬間。

 

そして、おばあちゃんに生きる希望を与えてる息子の存在は、とても大きいと思った。

小さな身体で、たくさんの歓びを与えてる。

生まれてきた使命を、まっとうしてる。

素晴しいわ。

 

最近、上手くいってないことや、どうしようもないことが続いて停滞でしたが、今日のこともそうやし、旅をして、すっと軽くなった。

要は、「川の流れに逆らうな」ということなんやな。

自分、自分で囚われ過ぎてたら、結局自分の首を絞めてることになってる。

もう芯の部分だけ押さえておいて、あとは任せてみるくらいが、一番楽なんかも。

 

すーーっと身を任した方が前へ進んでる、みたいなかんじ。

 

そしてもっともっと沢山動いて、いろんな人に触れ合おうと思った。

それは特別な出会いとかじゃなくても、ご近所さんたちとの世間話でもいい。

家の周りは、わりと年配の方々が住んでおられるので、息子は町内のアイドル。

一緒に散歩に出掛ければ、誰かしらと会って、「てんちゃん!」と声をかけられて、おしゃべりするわけです。

特に小さな町なので、そこら中で知り合いにばったり遭遇する。

けど、それって心が閉じてたり固くなってるときは、なかなか出会わなかったり、あえて避けてしまったりする。

今日みたいにオープンだと、たくさん出会う。

なんてことない会話や笑顔が、心を豊かにしてくれるんやなあと、また息子を通じて教えてもらったような気がする。

 

あー、まだ一歳なのに、すごいわ!

子供ってすごい。