判断しない
お焚き上げの記事を書こうと思いつつ、また脱線です。
ふと今日あった出来事が、印象的だったので忘れないうちに残します。
今日は一ヶ月に一度の息子のアトピーの皮膚科検診の日。
診察を終えて、薬局で順番待ちしていた時のこと。
幼稚園の女の子と、その子のお母さんがいて、女の子は薬局で売ってる一口クッキーが欲しくて、何度も母親のところへ持っていって、「だめ!」と怒られていた。
会計で呼ばれた母親のところに、女の子は最後に「ちゃっかり一緒に買ってもらおう」作戦で、クッキーを持っていったら、その瞬間母親がぶちギレたのだ。
ヒステリックで、母親がイラついてる時によくある、キレ方。
結局、泣いてる女の子を引きずりながら、帰って行った母親。
そのとき、わたしは母親の「あのイラつくかんじが、わかる!そうそう、そういう時あるよね!イライラする時あるわー」とも思ったし、子供の「お菓子食べたい!」という気持ちもわかったし、もっと言うと、「ああいう時は誰でもあるよね」とも思えた。
つまり、母親のああいう態度がどうこうとか、何も判断せずにただ状況を見つめられたことが、自分にとって衝撃だった。
別に鬼ギレする母親がいい悪いじゃなくて、その人の人生の一瞬にしか過ぎない出来事なんやろうなって思えた。
そう思えたことが、自分の中ですーっとしたのだ。
人を何も判断しないということは、すごく自然体なことなんや。
と、いうなんてことのない出来事でした。
わたしにとっては、大きなことなんです。実は◎
さて、今日は昼から息子と近所の古墳公園へ遊びにいきました。
晴れているけど、むちゃくちゃ風が冷たくて、今日も母親にとって苦行です!!!
でも雨が降ってない限りは、太陽の光浴びて、土遊びした方がなんとなく気分もいい気がして、1時間くらいが限界ですが外遊びします。
早く、暖かくなってくれ。。!!
頼む!!
この古墳公園は家から歩いて5分くらいのところにあって、息子が生まれてそろそろ外気浴に行くかーって時に、お散歩で来た思い出の場所です。
住宅街の中に古墳がぽつーんとあって、大変地味で子供たちに人気のない公園ですが(よくおじさんが休憩でぼーーとしてる系の公園です)、落ち着きます。
家族も近所の人もあまりこの古墳公園に対してあっさりしていて、こんなに近くに古墳があることになんでみんなもっと興奮しないのだ??と思いながら、度々訪れていました。
ここの空間だけ、時間軸がちょっと違うような感覚になる気がするのです。
スリングに息子を入れて、お散歩してる時の事を思い出しました。
なんとも、満たされた毎日やったなあ。
ただ、存在するだけで、有難いと思える赤ちゃん。
だんだん人間ぽくなってきたけど、みんな生まれた時はそうやったんよね。
ふっと心が何かに還る、そんな時間を過ごせました。
ありがとう。