目に見えないものを信じるということ

 

週一ペースでヨガ(ビンヤサ)のクラスを受けて、毎朝15分くらい(息子が起きてきたら、できませんが。。)家でもマットを広げて簡単なヨガを始めて一ヶ月。

 

なんと今日、息子を寝かしつけてからヨガし始めたら、前屈した瞬間、ぐにゃ~っと柔らかく曲がった!!

それまではある程度伸ばしてからでないと、硬かったのに。

この変化には自分もびっくりです!

 

やっぱりコツコツ続けてると、ある日突然成果って表れるもんなんですねえ。

はー。

続けてよかった。

 

整骨院の先生に「あんた相当、やばいよ」と言われたから、ここまで頑張れたんやな。笑

先生、ありがとう!

大分柔らかくなってますよー!

 

ちなみに10分ほど、瞑想もしてみました。

雑念だらけ!!

でも、雑念をひとつひとつ箱の中に入れる作業をひたすら繰り返していくと、終わってから、あたたかーい気持ちになっていくのがわかりました。

 

あー、なんも考えんでええんやん。

そんな気分。

 

というわけで、最近の息子との寺社仏閣巡りをしていて感じたことも、まとめておこうと思います。

 

でも、なぜ寺社仏閣巡りしだしたのか。

要は普段子供と行く場所がマンネリ化して、子供を遊ばせる場所って、大抵大人はつまんないんです(みんながみんなではないですけどね)

子供につきあってあげてる感が、自分の中で見え隠れしていたので(子供のためだ、とかいう固定概念)あんまり楽しくないなーと思い始めました。

 

親も楽しんでないと絶対、子供も楽しくない。

そう思って、お金もかからず、身近で楽しめる場所を自分で探せばいいんじゃないか?と思いつき、まずは観光案内所に行きました。笑

案内所のあばちゃんも「他府県から引っ越してきた親子」的な目で見てくれたので、いろいろ教えてくれるのです。もらった観光地図を片手に、片っ端から巡ることにしました。

幸いなことに、わたしが住んでる地域は、歴史を感じさせる場所です。

いろいろ巡ってると、パンフレットに載ってない歴史スポットやらが目に付いてきて、どんどん楽しくなってきた!

息子もいろんなところに自転車で回ったり、散策できるので、親子で楽しい!という言わばハッピーなスパイラルにどんどんはまっていく感じ。

 

地域柄、お寺や神社が多いので、必然的にそういう場所へ頻繁に行くようになり、息子は最初は苦手だったお参りも(怖がっていた)、喜んで「おまいりするよ~!」と駆け出していくほどになりました。

手を合わして、「ありがとう」と言って、お礼するんだよと教えると、一生懸命に見よう見まねでするのです。

お地蔵さんを見たりする度に、頭を下げるようになったりとか。

二歳児にとっては、少しアトラクション的楽しみもあるんやろうなーとは思うけど、この「見えないものへの感謝」や「信じること」は、案外重要視されてように気がつき始めました。

 

育児というと、成長の発達から、何をどう乗り越えるかとか、教育的な部分への関心が高く、賢くて立派な人間に育てるための情報であふれてるような気がするのです。

何を持って、賢くて立派な、はそれぞれの価値観ですが、少なくてもわたし自身は、

 

「人の気持ちがわかる人間であってほしい」

という想いがあるのです。

 

そういう人の気持ちがわかる、という人でいるためには、

いろんな経験をしないとなれません。

つらいこと、楽しいこと、悲しいこと、うれしいこと。

そして、感謝すること。

 

感謝するっていうことは、人を信じて自分も信じるということに、つながっていくと思います。

 

だからこの「目に見えないものを信じる」ということは、すごく大切なんやなって、気づきました。

 

今の家庭に「神棚」ってほとんどないと思います。

わたしが生まれ育った田舎の実家には、神棚があって、毎朝炊き立てのごはんとお水をお供えしてました。(ちなみにどこかの宗教とかではないです)

必ず出勤前に父が拍手を打って、手を合わせるのです。

災いなく無事に一日を送れますようにと、父は祈ってたんだと思います。

子供ながら、何に対してお供えしてるんやろう??と不思議に思ってましたが、それが日常の慣わしだったので、手を合わせて拝むことは普通でした。

 

そういう日常が、今の慌しい世の中には希少になってきてます。

個人的に自分がどこかの宗教に属するということに違和感がありますが、何かわからないけど大きな目に見えない力を信じることはできます。

もっと具体的に言うと、自分の力で人は生きられない、周りの人に支えられて生きてるってことですかね。

 

そういうことをやっぱり、わたしは小さい時には気づかなかったし、いろんな経験をして初めて気づくんですよね。

でも小さな時に不思議だった「神棚」は、潜在意識の中のどこかに残ってるような気がするのです。それが歯止めになったり、なんかあっても誰かに助けらて感謝したり。

 

そういう目に見えないものを信じること、感謝することが、息子の記憶の片隅にあれば、今後彼が進んでいく人生の中で、重要になっていくんだろうって、最近は強く思います。

 

失敗しても、道を踏み外しても、元の芯に戻ってきたら、大丈夫。

 

そういう強さ。

 

寺社仏閣巡りで、感じたことです◎